大切なご報告

徳本です。

現在、今年上半期の作付けの最終段階の計画を詰めています。本来であればすでに終わっているべき仕事ですが、今年は色々あり、ちょっと遅れています。

その最終段階の作付け品目リストに、固定種の野菜はありません

2012年に始まった挑戦

野口勲さんに会いに行ったのは、TREE&NORFを始めた2012年でした。氏の著書であり固定種という存在と可能性を僕に教えてくれた「タネが危ない」が、どのような農業を実践していけばいいのかまだ決め切れていなかったモヤモヤを吹っ切ってくれ、「農業で世界を変えていくには固定種しかない」と直感し、すぐに野口さんに会いに行ったのです。

当時すでに、有機野菜、自然農法による野菜、農薬・化学肥料を使用せずに栽培された野菜など様々な農法で高品質な野菜がつくられ、先進的な農業家たちは、外国で農地を取得して生産や販売を直接する「適地適作」のビジネスを展開していました。

後発で、しかも知識も経験も仲間も土地も販路もない、しかし「土から食べるものをつくる」という、根源的で力強いものづくりである農業をやりたい、という思いだけはある僕にとって、「固定種」という存在は、暗闇に差し込んだ一筋の光のように思えたのです。

「収益事業として固定種の野菜を扱うのは非常に難しい。しかし、既存の流通に頼らず、自分たちの力で栽培し、発信し、販売していく一つの形が出来上がるならば、それは、農業に革命が起きる時でしょうね」

野口さんのこの言葉を、当時は前向きな意味でしか受け止めていませんでした。

そう、「自分がその革命を起こすんだ」と考えていたのです。

信じられないほどの失敗の連続

これまでこのブログではあまり多くを語ってきませんでしたが、とにかく失敗の連続でした。無残という表現がこれ以上似合う状況はないと思えたほどです。

固定種の野菜を栽培し収穫することの難しさ、農業の難しさに直面したのです。

考えていた1/10も収穫できず、収穫したものは虫に食われていたり、固定種ゆえ形が不揃いで買い手がつかなかったり。一度にたくさん収穫できるわけではなく、例えば同じ畑に植えた同じダイコンでも生育のスピードに差があるため、効率的な収穫はできません。「これは数日待ってみよう」と待っていると、その間にトラブルが起き、畑に戻ってこられたのは一週間後。すでに収穫のタイミングが過ぎ、廃棄せざるを得ない状況になっていた、などはザラです。

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固定種の特性による栽培や収穫の難しさに、有機栽培の困難さが加わります。合成化学農薬や化学肥料は一切使用しないことをポリシーに掲げていますので、当然のことながら除草剤は使用しません。雑草の伸びは想像以上で、自分たちの仕事が野菜の栽培なのか、除草なのか分からなくなってしまうほどでした。

また農業ほど土地に根付いた事業はありませんので、地域住民との相互理解が非常に重要な要素です。自分たちだけが美味しくて、品質の良い野菜がつくれていればいい、という話では当然なく、畑の在り方、除草のルール、地域の農業家との付き合いを尊重し、大切に守っていくことも重要です。

いきおい「そんなルール、時代に合わない」とか「過度な除草は生態系を崩すだけだ」といったこちら本位の考え方だけを主張し、なぜこの土地にそうしたルールが存在し皆が守っているのか、由来や意味を考えないなどの行動が、地域の同業者や住民との軋轢を生んだ時期もありました。友好的な関係であれば得られた地域の知見や協力が得られづらくなり、結果として自分たちが求める農業への到達を遅らせることにも繋がっていました。

絵に描いた餅

当たり前のことですが、美味しい野菜を一定量きちんとつくり、きちんと収穫して、きちんと販売し、それによって収益を得て、従事者が自らの生活を潤し、また次のシーズンに向かって取り組むというサイクルを回していくことは、非常に難しい。

少なくとも、農業新参者の自分たちにとってはそうでした。

農業も一般的な市場原理が作用するビジネスですので、売値や費用は市場の動向で変動します。これに加えて、僕たちが主として取り組んでいる路地栽培は天気や気温、湿度、降雨降雪などの天候に大きく左右されますので、これも難易度を上げている大きな要素です。

しかし規模も追求していた僕は、一気に土地を広げて野菜の種や苗をドンドン植え付けていったため、個々の圃場の管理がおざなりになり、野菜の品質を保てず、収穫を放棄するといった事態も発生しました。

そのうえ、生産の難しさと経済性の無さで市場からの退出を余儀なくされている固定種をメインに扱うという計画はまさに理想でしかなく、絵に描いた餅だったのです。

好転の兆し

僕は自他共に認める楽天家です。でなければ、あまりの無計画さと実力の無さと、それによる失敗のストレスで、とうの昔に農業を辞めていたかも知れません。

野菜の死屍累々たる畑を見るのはさすがの僕も堪えましたが、「次こそは」という想いで頑張ってきました。

2014年に入り、現在の農場長との出会いがありました。しっかり頭で考えてそれを行動に移せるタイプで、農業の経験も知識もあり、そして地元に根付いて暮らす青年でした。

リーダーが定まると、不思議と農業に精通した人、若いながらも情熱を持った人、新たな力強い仲間たちが加わってきました。

彼がTREE&NORFに参加してから、事態が一気に好転してきたのです。

固定種の栽培を一時、止めます

もちろんすべてがうまく行っているわけではありません。問題も山積しています。それは大きなものもあり、小さなものもありますが、大きなものは、まだ僕たちが農業で食える状態になっていない、ということです。

農業はものづくり。「つくってなんぼ」です。

自分たちがものづくりの技術や知識においてまだまだ初心者であることを認め、生活していくために、最終的な目標は一旦、置いておくことを決めました。

まず自分たちができること、やるべきことをしっかり定め、自分たちがつくったものを売り、それで生活していくという当たり前のことを実現します。そのために、固定種野菜の生産は一時休止します。将来のため、自分たちの理想の農業を実現するため、品種の理解と栽培技術の習得のために、固定種野菜の栽培は継続します。しかし事業の根幹として栽培する野菜のリストから、固定種は外します。

もちろん、合成化学農薬や化学肥料を使わない栽培は継続しますし、使用する肥料も厳しく選定していきます。

いつか、できれば近い将来、再び固定種野菜を栽培して皆さんにお届けできるよう、確かな知識と技術を持った農業法人になりたいと思っています。

これまでの経験を共有していきます

僕たちが取り組んだ固定種の栽培の記録は、上記に書いたとおり、失敗と敗北の記録でした。今後、少しずつになりますが、こちらのブログで具体的な内容を共有していきます。3年間と僅かな期間ではあるものの、自分たちが体験してきた具体的な内容を共有することは、のちの自分のためにも、また3年前の自分と同じようなことを考えている方のためになると考えているからです。


徳本 修一

トゥリーアンドノーフ代表取締役。消防士、芸能マネージャー、歌手、ITベンチャー役員を経て、子どもたちがおいしく安心して食べられる野菜を作るため鳥取に帰郷しトゥリーアンドノーフを発足。コメで世界を獲ったるで!(詳しいプロフィールはこちら)

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2件のフィードバック

  1. 藤江 より:

    あぁ、そうでしたか。
    いろいろあったのですね。
    リンゴの木村さんも同じご苦労をされていました。

    野菜の味も品質の良さもピカイチでしたからどうぞ自信持って下さいね。私たちは不揃いでも皆さんほど気になりません。きれいで全部同じ形の野菜なんて不自然ですもの。

    私もライブドア時代、事件が起きて本当にいろんな思いをしました。あの苦しい時があって、仲間たちは今世界中で活躍しています。
    ピンチはチャンス!
    何が大事かよくわかるし、大事なお金を吟味して使って、みんなが一つになって、より自由になるために必要ないものを手放して成長できる。

    固定種じゃなくてもいいので、またお野菜分けて下さい。再開を楽しみにしています。

    何かできることがあったら言って下さいませ^_−☆

    • tokumoto より:

      藤江様>
      心に響くコメントありがとうございます。

      これから「自分たちで良質な野菜を作り、売る」ということに、より特化するための環境を整えていきます。まだまだこれからも数多くの難関が待ち受けていると思いますが、苦難も喜びもスタッフたちと共有し、成長していければと考えています。

      現在、夏野菜の植付の真っ最中です。7月ごろからまた少しずつですが、思いの詰まった野菜たちをお届け出来ればと思います。

      今後ともよろしくお願いいたします。

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