徳本修一が野菜をつくるまでの話(2)

TREE&NORF代表の徳本修一のインタビュー記事を「なぜ農業を始めたのか?」というテーマのもと、10回に渡って連載するこの企画。本日は第二回です。

鳥取のおいしい有機野菜 TREE&NORF 代表 徳本修一
TREE&NORF代表 徳本修一

  1. 消防士になって、消防士を辞めるまで
  2. 東京での暮らし(前編・芸能界に入るまで)
  3. 東京での暮らし(中編・芸能界に入ってから)
  4. 東京での暮らし(後編・結婚して子どもができた)
  5. 東京から鳥取に引っ越し、わったい菜を創業
  6. わったい菜で奮闘した5年間(前編)
  7. わったい菜で奮闘した5年間(中編)
  8. わったい菜で奮闘した5年間(後編)
  9. TREE&NORFを創業、本格的に農業の道へ
  10. BLOFに出会って。そして徳本、大いに語る

前回の続き、東京に出てきてからの話ですね。

はい。リュックサック一つで上京したのが、1999年の4月でした。当時はインターネットも普及してなかったですし、テレビなんかも見てなかったので、僕の中の、東京という街に対するイメージがめちゃくちゃ偏ってました。

と言うと?

東京=(イコール)新宿歌舞伎町、六本木、銀座といった、夜の街のイメージでした。

それはかなり偏ってますな。

なので当然、仕事もそこから探すことになるわけで、僕が最初に就いた仕事は歌舞伎町のホストクラブでした。歌舞伎町の路上でキャッチ(*)をやっていたところ、こわいお兄さんが来て僕を殴るわけです。「ここでそんなことをしてはいけないヨ」と。

縄張りのようなものがあったんですね?

そうなんだと思います。とにかく、東京生活の出だしから文字通り、手痛いパンチをくらいました。

どこに住んでたんですか?

最初は大学に通っていた弟の部屋に転がり込んでいました。それから新宿での仕事に通いやすい中野坂上に部屋を借りて引っ越しました。ところが引っ越し初日、どういうわけか、電気もガスも水道も、何も使えないんですよ。

うわぁ……

部屋を借りれば全部使えるものだと勘違いしていて、どこにも連絡してなかったんですよ。もう寝るしかやることがないんで、布団がないからリュックサックを枕にして床に寝るんだけど、まだ4月だから夜は結構冷えるわけですよ。寒くて全然眠れない。ウトウトしかけるんですけど、そうこうするうちに朝がやってきて、カーテンのない窓から否応なしに陽が差し込んでくる。結局、一睡もできない。

なんと言うか、バカですね。

すごく自分が惨めになってしまって、何もない部屋で体育座りして、泣きました。

泣くしかない状況だもんね。

さらに追い討ちだったのが、家賃です。ひと月9万円弱のマンションを借りたんですけど、よく考えると収入がないんで、来月の家賃が払えないことに気づいたんですよ。

えーと、それはよく考えなくても分かることでは?

中野坂上のマンションはひと月で退去して、梅ケ丘という下北沢に近い町の、風呂なし共同トイレで月3万円の古いアパートに引っ越しました。隣の部屋のおじいちゃんが、喉に痰を絡ませて苦しそうにしている音が筒抜けに、夜な夜な聞こえてましたね。あと2階の人が歩くと1階の僕の部屋も揺れる、そんな感じのボロさでした。

だいぶ差がありますな。

梅ケ丘の部屋に引っ越してからしばらくは、本当にお金のない状態になりまして。水道水を飲んで、1日の食事といえば近所のスーパーで特売していた大きな菓子パン一つ、そんな日もありました。

僕にもそんな時期ありましたね。友だちと喫茶店行ってるのに自分だけ水とか。とにかく、食えないのは辛いですね。

ある日、実家から食べ物や日用品がいっぱい詰まったダンボールが送られてきたんですよ。小さな隙間にもみかんとかバナナとか、とにかくギッシリ詰まってた。

金のない時、あれは嬉しいよねぇ。

それと、箱の中から実家の匂いが少ししたんですよ。それを感じた時に、幼い頃から東京に出るまでの実家での楽しい思い出がぶわーっと蘇ってきて。

分かるなぁ。

親元を離れることなく23年間生きてきて、その時初めて、いかに親に守られて、愛されて生きていたのかが分かったんですよ。何一つ自分ではできない、自立できていないことを思い知ったし、とにかく、家族のありがたみをすごく感じて、4畳半の部屋で声を出して泣いたことを覚えてますね。

郷愁と、悔恨と、惨めさと、、、 しかし、それにしても君、よく泣くね。

それから間もなくして、トラックでケーキを運ぶ仕事も始めて、ひとまずは無理なく生活できるようになってきたんで、公園で歌の練習をしたり、カラオケボックスでデモテープを録音して、レコード会社に送り始めたんですよ。

鳥取のおいしい有機野菜 TREE&NORF 徳本修一

ようやく、歌手 徳本修一への道が本格的に始まったわけですね。

で、デモテープを送ると割と良い反応がもらえたんですよね。オーディションなんかも割とイイところまでいく。でも、最後までは行けない。

ふむふむ。

当時、僕は23歳で、決して早いスタートではなかったので、これは正攻法でやっててもラチがあかないなって悟ったんですよ。それで、芸能界にコネをつくろうと思ったんです。鳥取での就職で、そのパワフルさは嫌というほど知っていますからね。

うん。ただ、既存のコネを使うということと、自分でつくるということは全然違いますよね。しかも単なるコネじゃなくて、強力なコネをつくるのは。

確かにそうかも知れませんね。で、求人誌にあった「某有名文化人」のマネージャー募集に応募したんですよ。

応募の時点では、誰のマネージャーを募集しているのか分からなかったと。

分かりませんでした。面接の時点でも分かりませんでした。

昔、僕がいた会社もそんなことしてたらしいけど(*)

倍率が高くて、100倍くらいはあったと後で聞きました。

すごい難関!

最終的には、「この人」って事務所オーナー専属の占い師が決めたらしいんですけどね(笑)。

(笑)

採用の連絡がきて、「生田(いくた)のスタジオにXX月XX日の10時に来てくれ」って指示があり。入社説明とかオリエンテーションとか一切なく、初日からいきなり現場集合。

芸能界ぽいエピソードですね。イメージですけど。

電車に乗って集合時間の10時にスタジオ行って、入り口で立って待ってるわけですけど、待てども待てども来ない。というか、誰が来るのか知らない(笑)。

(笑)

結局、「某有名文化人」がスタジオにやってきたのは、5時間遅れの午後3時でした。

ひどい話だなぁ。

で、黒塗りの車から降りてきた「某有名文化人」が、デヴィ夫人だったんです。

続きます。

  1. 消防士になって、消防士を辞めるまで
  2. 東京での暮らし(前編・芸能界に入るまで)
  3. 東京での暮らし(中編・芸能界に入ってから)
  4. 東京での暮らし(後編・結婚して子どもができた)
  5. 東京から鳥取に引っ越し、わったい菜を創業
  6. わったい菜で奮闘した5年間(前編)
  7. わったい菜で奮闘した5年間(中編)
  8. わったい菜で奮闘した5年間(後編)
  9. TREE&NORFを創業、本格的に農業の道へ
  10. BLOFに出会って。そして徳本、大いに語る

* キャッチとは、路上で、行き交う人に声をかけ、自分の勤めるお店にお客を勧誘する仕事。
* アマゾンジャパン株式会社は、日本でのサービス開始を秘密裏に進めるため、2000年当時はエメラルドドリームスという名前で登記して人材を採用し、準備を進めていた。


和多瀬 彰

TREE&NORFのWEBサイト、印刷物などの制作を担当しています。趣味はキャンプと読書。最近、初めての子どもが生まれ、バタバタな毎日を送っています(詳しいプロフィールはこちら)。

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