国府田敬三郎 – 海を渡った農業者たち
少し遅くなってしまいましたが、、、明けましておめでとうございます。トゥリーアンドノーフ徳本です。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年は暖冬の影響が深刻ですね。私たちが拠点とする鳥取・気高町飯里もまだ積雪がありません。
鳥取の水田地帯では、田んぼの水が確保できるかどうかの懸念(山への積雪が少ないため、春以降の川の水量が少なくなる可能性が高い)が出はじめています。
また、露地野菜は春に出荷する品目が暖冬の影響でどんどん前倒しで出荷され、市場価格は完全に崩壊しています。各産地では出荷をあきらめ、畑に野菜をどんどん漉き込んでいるようです。
このように、農業界は非常に厳しい年明けとなっています。
端的に言えば完全な供給過多なので、変化に対応できない農家は淘汰されていきます。適者生存。僕たちも変化を恐れず、サバイブしていかなければなりません。詳しい話はおいおいお伝えしていきますが、昨年からはじめた土地利用型作物に、今年から本格的に舵を切っていきます。
さて、今年は「発信」を重視し、週1本ペースでブログ綴っていきたいと思います。
初回テーマは「海を渡った農業者たち」で、僕がいつもモチベーションの源泉にしている農業家を何人かご紹介していきます。
国府田敬三郎
僕は、農業界は本当に狭い世界だと思います。耕作する農地が基点となる事業なので、農地のある地域・コミュニティとの信頼、付き合いなくして成り立たないからです。
そして、価値観や発想が違う、合わないという理由だけでその土地を離れるわけには行きません。なぜなら農地はバックパックに入れて運べないからです。
地域の習慣や価値観が自分のそれらと違っていたとしても、折り合いをつけながら、日々の活動を行う必要があります。するとどうしても、自分の意識や価値観は、地域のものに近づいていってしまうんですよね。その方が楽ですからね。
だからこそ、視点を高く据えたり、違う視座を持つことが大切になってきます。違う場所、違う価値観からの視点がないと見えづらくなってしまうものもたくさんあるからです。農業界でよくある有機農業VS慣行農業の二元的議論も、典型的な狭い世界の中の議論になっているように思います(これについてはまた後日ブログにしたためます)。
ちょっと話がそれました。
違う場所から自分たちの場所を再確認する。そのために、これまでも国内外様々な産地に視察や研修に行きましたが、一昨年、カルフォルニア州の世界最大の野菜産地の視察に行った際、バス移動中にコーディネーターの方から「国府田敬三郎(こうだ・けいざぶろう)という、アメリカでライスキングと呼ばれている日本人を知っているか?」と聞かれました。
国府田敬三郎(*1)は、福島県で学校教員をしていましたが、25歳(1907年)の時に単身渡米。1920年から約20年近い歳月をかけて、カルフォルニア州サリナスで水稲の大規模生産技術を確立し、日本米と品質があまり変わらない「国宝ローズ」の大量生産にも成功した実業家です。
国府田敬三郎氏(1930年頃)
ちなみに、アメリカの農業といえば飛行機を使ったダイナミックな農作業の写真、映像を思い浮かべる方も多いと思いますが、飛行機で米の種を播く手法は国府田さんが確立した湛水直播という技術です(僕たちも今年から飛行機をドローンで代替し、試験栽培予定)。
画像出典:USA Rice
1964年に82歳で亡くなられましが、現在は子孫がKODA FARM(水稲3000ヘクタール)として経営を継承されています。
彼が凄いのは、見ず知らずの異国の土地、しかも明治時代にゼロから事業を作り上げたのはもちろん、第二次世界大戦で日本が敗戦し、日本人ということで当時のアメリカ政府に農地の多くを没収されるのですが、州を相手取って損害賠償請求して少しずつ農場を再開、全米一の水稲事業を作り上げたという、とてつもない行動力・胆力です。
カルフォルニアの広大な農地を前に、一人の男の不屈のストーリーに胸が熱くなり、移動中のバスの中で号泣してしまいました(*2)。と同時に、「お前は、全身全霊で行動しているか!」「本当にやり切っているのか!」と、叱咤激励され、鼓舞ているような感覚になりました。
鳥取県東部の中山間地、狭い世界のなかだけ見てくよくよしていてもしょうがない。突き抜けてやる! そう強く思いましたね。
余談ですが、KODA FARMに通じておられる日本の著名な農学博士がいまして、その方に以前お会いする機会がありました。KODA FARMに対する思い、日本農業の未来を熱弁したところ、「君、面白いね。今度KODA FARMに一緒に行こう」と言ってくださったので、訪米チャンスを虎視淡々と狙っております。
それではまた来週。
本文中は敬称を省略しております。
*1 Wikipedia 「国府田敬三郎」
*2 徳本修一はよく泣きます。「徳本修一が野菜をつくるまでの話」参照。
参照URL
・KODA FARM WEB