徳本修一が野菜をつくるまでの話(6)

TREE&NORF代表の徳本修一のインタビュー記事を「なぜ農業を始めたのか?」というテーマのもと、10回に渡って連載するこの企画。本日は第六回です。

鳥取のおいしい有機野菜 TREE&NORF 代表 徳本修一
TREE&NORF代表 徳本修一

  1. 消防士になって、消防士を辞めるまで
  2. 東京での暮らし(前編・芸能界に入るまで)
  3. 東京での暮らし(中編・芸能界に入ってから)
  4. 東京での暮らし(後編・結婚して子どもができた)
  5. 東京から鳥取に引っ越し、わったい菜を創業
  6. わったい菜で奮闘した5年間(前編)
  7. わったい菜で奮闘した5年間(中編)
  8. わったい菜で奮闘した5年間(後編)
  9. TREE&NORFを創業、本格的に農業の道へ
  10. BLOFに出会って。そして徳本、大いに語る

東京から鳥取に帰ってきてわったい菜を始めた、というのが前回までの話。この徳本記事もようやく後半、舞台が鳥取に移りました。

どうしましょうかね。

ん、と言うと?

これまでは時系列に話してきましたけど、わったい菜でのエピソードは別の切り口で話したほうがまとまりやすいかなと。エピソードの数も異様に多いですしね。

まあ、好きなように話してもらえれば。

これはわったい菜に限ったことではないんですけど、特にわったい菜については失敗の歴史というか。考えられる失敗はだいたい全部経験しましたよ。良い言い方をすれば学びが多かったですが、悪い言い方をすればあまりに無計画でした。

徳本の代名詞だもんね。

鳥取のおいしい有機野菜 TREE&NORF 徳本修一が野菜をつくるまでの話(6)
考えるより先に行動する男、徳本修一。鳥取網代港にて

わったい菜という事業を進めていくうえで、当然のことながらある程度の資金は必要ですし、それを東京本社から出してもらうには、これまた当然のことながら計画が必要になります。「500万円送金してくれ」「了解!」とはいきませんからね。

ふつうの会社なら、そうでしょうね。

でも、当時の僕は「やったこともないものをどうやって計画しろと言うんだ!? 松葉がになんて初めて売るのに、最初から何枚売れるかなんて計画つくれるわけないっしょ! それこそ絵に描いた餅だよ!」と、そう思っていました。

徳本セオリー(理論)ですね。

ただ、今から考えれば、事前にしっかり情報収集と準備をすれば、見通しを立て、計画を作ることはできたと思います。自分たちが取り扱うことができる商品がどれくらいあるか、仕入れられる量、利益率、マーケット規模、競合、そして顧客は誰か……。よく考えたら、事前に調べて計画を立てることができないものの方が少ないくらいです。

わったい菜が立ち上がった時、商品は「鳥取宝月堂の生姜せんべい」と「菌興椎茸協同組合のへるしいたけ」の2つだけだったもんね。

そうですね。それから順次、取り扱い商品を増やしていって、最初の1年でほぼ商品構成の原型はできたんですけどね。万葉牛、田手商店の干物、網代の松葉がに、米、大栄すいか、二十世紀梨……。ただ、計画もないし、どれくらい売ったらどれくらい利益が出るかといったシミュレーションをしていなかったので、1年経って季節が一巡した時に焦ったんですよ。「わー、厳しいぞ、これは」と。

鳥取のおいしい有機野菜 TREE&NORF 徳本修一が野菜をつくるまでの話(6)
わったい菜の通販サイトで取り扱った商品の一部

具体的にはどういう厳しさだったのかな。

とにかくオペレーションコストが高く、仕入れ商品の利益率が低い。

儲からない仕組み、ということだね。

前者について言えば、例えば発注方法がEメールやFaxと、バラバラ。生産者の中には、Eメールが使えずFaxじゃないとダメという人も多かった。それに農産物から水産物、加工品まで商品ラインアップを一気に広げ過ぎました。そうなるとあらゆるオペレーションがシステマチックにできないし、資材の統一化も困難でした。

Faxは意外と根強く使われているもんなぁ。

後者については、もともと鳥取県内で地道に自分たちで作って自分たちで売ってというスタイルで仕事をしてきた人たちは、卸価格を持っていない人が多い。つまり僕らは、一般に売られている価格とほぼ同じ額で仕入れて売らなきゃいけないわけです。当然、利益はでない。

それで、仕入れ商売からの脱却を目指して、オリジナル商品の開発に進むわけね。

ええ。しかし、これも事前に調べていたら、もしかしたら、オリジナル商品の開発・販売はしていなかったかも知れません。

ほう。

まず、技術や知識、経験を持ったスタッフがいない状態で、オリジナル商品開発をスタートしたことに問題がありました。つまり、どんな技術や知識、経験が必要かを調べていなかった。いや、まずその前に何を作るかを決めていなかった。

わったい菜の最初のオリジナル商品は、生姜のコンフィチュールだよね。

はい。当初から「原料には農産物を使う」というテーマはありました。では、子どもでも美味しく食べられるピュレやスープはどうだろうと考え、真空パックできる機械を購入して試作品をつくりました。念のため、県内の同業者にどれくらい日持ちするか、試作品を持って聞きに言ったら「あんたら、人を殺す気か?」と叱られました。

製造方法や真空の状態がマズかったと。

そうですね。オリジナル商品を開発するために借りた施設は元カフェで、家庭より少し大きな厨房はあるものの、一般流通させられる製品を製造できるような設備はなかったんですよ。結局、僕らに作れるのはジャム(=コンフィチュール)くらいしかなかったわけです。

鳥取のおいしい有機野菜 TREE&NORF 徳本修一が野菜をつくるまでの話(6)
通算で2万本以上を売り上げた「鳥取瑞穂生姜のコンフィチュール」

道の駅なんかに「誰々さんちの何々ジャム」みたいな商品が多いのはそのせいなんだ。

生姜のコンフィチュールには、大きく2つの問題がありました。一つ目は、原料です。あの商品の正式名称は「鳥取瑞穂生姜のコンフィチュール」です。名前で分かるとおり、原材料には瑞穂生姜という鳥取市気高町の瑞穂地区で栽培されている生姜をつかっていました。

県内では有名な生姜だよね。400年の歴史があるとか。

はい。ただ、栽培面積が小さいんですよ。すなわち、生産量も多くない。つまり、生姜のコンフィチュールがたくさん売れるようになっても、原料がすぐに底打ちしてしまうわけです。

2つ目は?

この商品を開発するにあたって「素材感」を大切にしようと考えていました。「生姜っぽい」とか「生姜の香りがする」とかじゃなくて、「うわ!生姜!」だと。結果、ひと瓶160gのコンフィチュールに、100g近い生姜を使用することになりました。当然、原価も高くなります。

つまり「もともと栽培の少ない生姜を、ひと瓶でたくさん使うレシピ」のコンフィチュールだと。1本630円、利益率40%、仮に年間1万本売れたとすると、およそ250万円の粗利、ようやく1人分のお給料が払えるかどうか。じゃあ10倍ならどうか? しかし10万本売ろうと思っても原料がない。

もともとの商品設計や見通しが甘かったわけです。しかし、2012年の冬に関東圏のテレビ番組でこの商品が紹介されて、一気に1万本近くの注文が入った。当時3名で販売から製造まで回していたのでてんやわんやですよ。興奮していて冷静な判断ができなかったこともあるし、でも売れたという事実が「よっしゃ、ジャムはいける!」と思わせたんでしょうね。

落ち目だと言われていても、テレビの影響力はすごいね。

味は非常に好評でしたし、少なからぬリピーターもいました。オリジナル商品もいろいろつくりましたけど、最後まで残っていたのは結局これだけでしたし。ですが、自分たちに、期待した利益をもたらすまでには至りませんでした。

原料もある、原価も安い、製造コストもかからない、美味しくて独自性がある、流通させやすい、リピートしやすい。そんな商品を作るのはやはり難しいよね。

結局、オリジナル商品は、百貨店での催事に出品したものを含めて20近く作りましたね。一つひとつに同じような話がありますけど、どうしましょう?

今日は止めておこうか。

了解です。

続きます。

  1. 消防士になって、消防士を辞めるまで
  2. 東京での暮らし(前編・芸能界に入るまで)
  3. 東京での暮らし(中編・芸能界に入ってから)
  4. 東京での暮らし(後編・結婚して子どもができた)
  5. 東京から鳥取に引っ越し、わったい菜を創業
  6. わったい菜で奮闘した5年間(前編)
  7. わったい菜で奮闘した5年間(中編)
  8. わったい菜で奮闘した5年間(後編)
  9. TREE&NORFを創業、本格的に農業の道へ
  10. BLOFに出会って。そして徳本、大いに語る

和多瀬 彰

TREE&NORFのWEBサイト、印刷物などの制作を担当しています。趣味はキャンプと読書。最近、初めての子どもが生まれ、バタバタな毎日を送っています(詳しいプロフィールはこちら)。

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