徳本修一が野菜をつくるまでの話(5)

TREE&NORF代表の徳本修一のインタビュー記事を「なぜ農業を始めたのか?」というテーマのもと、10回に渡って連載するこの企画。本日は第五回です。

鳥取のおいしい有機野菜 TREE&NORF 代表 徳本修一
TREE&NORF代表 徳本修一

  1. 消防士になって、消防士を辞めるまで
  2. 東京での暮らし(前編・芸能界に入るまで)
  3. 東京での暮らし(中編・芸能界に入ってから)
  4. 東京での暮らし(後編・結婚して子どもができた)
  5. 東京から鳥取に引っ越し、わったい菜を創業
  6. わったい菜で奮闘した5年間(前編)
  7. わったい菜で奮闘した5年間(中編)
  8. わったい菜で奮闘した5年間(後編)
  9. TREE&NORFを創業、本格的に農業の道へ
  10. BLOFに出会って。そして徳本、大いに語る

前回は、第二子が生まれた頃から食に関心を持つようになった、という話でした。

その頃、東京の江東区東雲(しののめ)の新しくできたURの団地に住んでいました。

僕と同じ団地でしたね。

先輩である和多瀬さんの部屋を高い階から見下ろせる、和多瀬さんの部屋より広い、とても良い部屋でした。

評価基準、そこ?

鳥取のおいしい有機野菜 TREE&NORF 徳本修一が野菜をつくるまでの話(5)
当時、徳本修一が家族と暮らしていた団地・東京都江東区

その東雲の団地のすぐそばに大型のショッピングモールがあって、食品は24時間いつでも買うことができたんですよ。最初は便利だなーって思ってたんですけど、そこで売っている野菜が美味しくないことに気づいたんです。

確かに鮮度はあまり良くなかったよね。

長女も長男もまだ小さかったので野菜をぱくぱく食べるような歳ではないんですけど、そう感じるようになってからは、食品全般がすごく気になるようになってしまって。

小さい子どもは親が選んだものしか食べられないもんなあ。

それから、環境も気になりはじめたんですよ。東雲は埋立地なので、どこに行ってもアスファルトやコンクリートで覆われてるような場所ですよね。そんな人工的な場所の、道の脇に咲いている小さな花を子どもが摘んで「パパ、プレゼント」とか言うわけですよ。

かわいいね。

それ自体はかわいいんですけど、親としてはもっと豊かな自然に触れさせてやりたいなって思ってしまって。道の脇の小さな花や草だけじゃなくて、山や川や原っぱや……

つまり、君自身が幼い頃に体験した自然ということだよね。

そうですね。よく思い出す光景があるんですよ。トゥリーアンドノーフを始めるきっかけの一つにもなっている話なんですけど。

うん。

昔、おばあちゃんが家の近くで野菜をつくってたんですけど、トマトがめちゃくちゃ美味しかったんですよ。30年以上経っているのに、あの美味しさが脳裏にこびりついて剥がれないくらい。それは、トマトの味と一緒に、周囲の田園風景、山や川、そこを抜けていく風、蝉の声、全てが豊かで幸せな原風景として、僕の中に刻み込まれているからだと思うんです。

味とか音楽とか匂いとか、記憶と強く結びつくものってあるもんね。

はい。それで鳥取での暮らしを意識し始めたんですが、とはいえ仕事もあるわけで、すぐに引っ越しというわけにはいかない。

そりゃそうだね。

煮え切らない感じの毎日だったんですけど、2008年9月15日がやってくるわけです。

リーマンショック(*)。

これが本当に影響が大きくて、何十人も関わっているプロジェクトが突然止まったり、今まで決まっていた仕事が決まらなくなった。社内に仕事のないエンジニアが溢れて、非常に厳しい状態になったんですよ。

影響が顕著な業界だったんだね。

経営的な努力はもちろん、政治的な援助もあったりして何とか乗り切れた。次第に景気も回復して、仕事もこれまでどおり決まるようになってきました。けど、僕の中で何か大きく変わり始めたんです。

変わってきた?

はい。リーマンショックは確かに大事件でしたが、とはいえ、僕たちの仕事は影響を受け過ぎた。結果を左右する要因があまりに外部にあり過ぎて、自分ではどうにもならないという状況に、非常に強い不安を覚えました。それで思ったんですよ、こんなことに影響を受けない、もっと根源的なものづくりに基づく、もっと強い商売をしないといけないと。

根源的なものづくり、つまり、人が生きている以上必ず必要とする食べ物、それをつくる「農業」だと。

ですね。それで農業について調べ始めたんですが、そのあたりからですね。仕事と子育ての話が交わり始めたのは。

鳥取という自然豊かな土地で子育てしながら、農業を始める、ということね。

そうです。で、事業計画をつくって、社長に将来の展望とかを熱く語ったわけです。反応は上々でした。が、なかなかGOサインがでない。

IT関連の会社が準備もなく、いきなり農業を始めるというのは、かなりリスキーな感じするもんね。

ええ。でも思いついたらとにかくやりたくなって、2009年の春、社長に黙って家族連れて鳥取に帰っちゃったんですよね。

えー、社長に黙って!?

はい。当時、社長や取締役、部長級が集まる幹部会議が毎月開かれていて、僕は出席義務があったんですけど、毎回欠席してたんです。そりゃそうですよね、東京の部屋を引き払って鳥取に帰ってるわけだから。出られるわけがない。

そりゃそうですよね、って。

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会社に黙って家族を連れて鳥取に戻った徳本修一(後ろに見えるのは大山)

当時、僕と同じ部署にいたKさんがずっとかばってくれて。会議中に社長が「徳本さん、なんで毎回欠席なんスか!」って怒り気味に聞かれても、ずっとシラ切ってくれてたみたいです。

でも秘密にしっぱなしにできないでしょ。

まあ、そうなんですけどね。結局正直に話して、「じゃあ、鳥取支社は任せた」みたいな感じになりまして。

社長もKさんも、懐深いね。まあ、とにもかくにも、これで鳥取で堂々と事業ができる状態になったわけだね。

はい。

でも、帰ってすぐに農業を始めたわけではないよね?

はい。当時の僕は大きなことばかり考えていて、口癖のように言っていたのが「ネスレ(*)を超える事業にする」と。自分で作るよりも、農業という領域でいかに大きな数字が出せるかについて考えてました。

ネスレ……。具体的どんな大きな絵を描いてたのかな?

例えば、鳥取県の農産物を全て買い取って、境港から香港に輸出するとか、ですね。実現しても到底ネスレには及ばないわけですが。そんな提案をしにJAに行って、門前払いを食らってました。

JAの人は正しい対応をしましたね。

何かヒントはないかと、鳥取県内でトンガった農業をやってる人たちの情報を集めて、片っ端から会ってったわけです。するとね、感動するわけですよ。鳥取にこんな面白い人がいたのか!って。

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鳥取に帰ったあと、出会った農業家たち

悪く言えば、ちょっと変わってるとか。

まあ、そうですね。地方の農業なんて、めちゃくちゃ封建的で閉鎖的なんです。そんな中で慣習を打ち破って、自分が正しいと思うやり方で農業してる人なんて、どこか変わってないとできっこないんですよ。

ナルホド。

それで、この面白い人たちの作る、美味しい食材を、まずはネットで発信して売ってみよう!と思ったんです。一応、IT企業所属だし。

それで「わったい菜」を始めたと。続きます。

  1. 消防士になって、消防士を辞めるまで
  2. 東京での暮らし(前編・芸能界に入るまで)
  3. 東京での暮らし(中編・芸能界に入ってから)
  4. 東京での暮らし(後編・結婚して子どもができた)
  5. 東京から鳥取に引っ越し、わったい菜を創業
  6. わったい菜で奮闘した5年間(前編)
  7. わったい菜で奮闘した5年間(中編)
  8. わったい菜で奮闘した5年間(後編)
  9. TREE&NORFを創業、本格的に農業の道へ
  10. BLOFに出会って。そして徳本、大いに語る

* リーマンショックは、アメリカ合衆国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズの負債総額64兆円という史上空前の倒産に端を発する、続発的に発生した世界的金融危機の総称。日本でも多くの企業が影響を受けた。
* ネスレはスイスのヴヴェイに本社を置く、世界最大級の食品・飲料会社。年間売上はおよそ11兆円に上る。


和多瀬 彰

TREE&NORFのWEBサイト、印刷物などの制作を担当しています。趣味はキャンプと読書。最近、初めての子どもが生まれ、バタバタな毎日を送っています(詳しいプロフィールはこちら)。

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