徳本修一が野菜をつくるまでの話(9)
TREE&NORF代表の徳本修一のインタビュー記事を「なぜ農業を始めたのか?」というテーマのもと、10回に渡って連載するこの企画。本日は第九回です。
TREE&NORF代表 徳本修一
- 消防士になって、消防士を辞めるまで
- 東京での暮らし(前編・芸能界に入るまで)
- 東京での暮らし(中編・芸能界に入ってから)
- 東京での暮らし(後編・結婚して子どもができた)
- 東京から鳥取に引っ越し、わったい菜を創業
- わったい菜で奮闘した5年間(前編)
- わったい菜で奮闘した5年間(中編)
- わったい菜で奮闘した5年間(後編)
- TREE&NORFを創業、本格的に農業の道へ
- BLOFに出会って。そして徳本、大いに語る
前回は、八百屋わったい菜(以下、八百屋)の失敗の総括。いよいよ話題は、TREE&NORFと農業だね。
TREE&NORFは、2012年の4月に創業しました。八百屋を始める1年前です。
では、TREE&NORFの野菜は八百屋でも販売していたわけだ。
ほんのわずかですが、販売していました。収穫物がほとんどない状態が何年も続いていたので……。
何年も。TREE&NORFにもまた、問題があったわけだね。
TREE&NORF創業当初の重要なコンセプトは、「有機農業」と「固定種野菜」、そして「大規模」でした。
「固定種野菜」の栽培は非常に難しいと聞くんだけど、そこにさらに「有機農業」と「大規模」という難しい要素を2つもくっつけてしまったわけだ。
はい。実際、2012年、2013年頃は、ビジネスレベルで考えるとほとんど収穫できない状態でした。固定種野菜をある程度の規模で栽培する場合は、相当な技術と知識を必要とするんですが、それが全くない状態で走り始めてしまったからです。
得意のパターンだね。
さらに、創業から2年後の2014年に固定種野菜を食べられるレストランを立ち上げるという、今から考えたらあまりに無謀な計画をぶち上げていました。畑の中に建ち、大タブの木や鷲峰山などの美しい景色を眺めながら、美味しい野菜が楽しめるレストランです。
コンセプトは良さそうだけど。ただ、創業から2年後というのは無茶があるね。
当然、実現しませんでした。そのレストランでは自分たちが栽培した野菜を使った料理を供するつもりだったのですが、まずその野菜がない。土地の取得や、商業施設を建てるためにの農地転用の手続きなど、思った以上に手続きが煩雑で時間もかかりました。
2014年といえば、八百屋わったい菜が開店して1年後くらいでしょ。
はい。当時の僕は、ネット通販のわったい菜、わったい菜の商品の法人営業、八百屋わったい菜、TREE&NORFの営業やレストラン計画などの責任者で、とにかく仕事が多かったんですよ。
報告を受けて指示を出す、みたいな立ち位置ならまだしも、それぞれのプレイヤーも兼任しているとしたら、当然、時間も労力も足りないわな。何に集中していいのか分からない状態だね。
農業をやるうえですごく重要なポイントとして、地域性や土着といったものがあります。どういうことかと言うと、僕のように、TREE&NORFの畑がある気高町に縁もゆかりもない人間が、ある日突然やってきて「農業やります」と言っても、地域の人からしたら、すぐに信頼はできないわけですよ。
そりゃそうだろね。
朝晩の挨拶、毎日畑に立って汗を流している姿、地域の歴史や農業慣習への敬意、奉仕活動、地域の人たちとの日常的な交流。新参者である僕らには、特に必要なことでした。
ところが、忙しくて徳本が現場にほとんど行けなかったと。
そうなんです。当時の僕は、野菜の収穫をきっちり上げてって物量を増やし、畑の面積も拡大して、地元の雇用を増やす。経済的な貢献をすることが、その地域にとって最も良いと考えていたんです。
ところが、野菜もできなかった。
野菜はできない、畑の管理もままならない、言い出しっぺの僕は姿を見せない。地域の人たちからは「TREE&NORFなにやってんだ」と、そりゃこうなりますよね。
地元の人からすれば、経済的貢献とかレストラン計画とか大風呂敷はいいから、せめて畑に立てよとは思うだろうね。
これらを反省し、今後のことを考えて、2015年の3月に農業事業だけに集中する決断をしました。わったい菜の通販事業、八百屋わったい菜、オリジナル商品の製造販売など、すべて止めて、TREE&NORFの事業に集中するという決断です。
大きな決断だなぁ。
で、僕もできる限りの時間、畑のある気高町で仕事をして、人、畑、野菜がいまどのような状態であるかをしっかり把握して、管理できるようにしたんですよ。ところがその夏も野菜は収穫できませんでした。
それに集中していただけに、衝撃はデカイね。
1年の半分の売上を見込んでいたじゃがいもが、半分ほどしか収穫できませんでした。特にメークインは壊滅的で、計画の20%ほどしか採れなかったんですよ。
取引先にも大きな迷惑をかけてしまうし、会社の経営的にも大きな打撃になるよね。
僕らのような実績のない農業法人との取引きを、「頑張れ」という気持ちから決めてくださったのに、その期待にも応えられず、仕入れに穴をあけてしまうようなことを何度もしてしまった。怒られるのも辛いですが、取引先に申し訳なさ過ぎて辛かったですね。
野菜ができない理由はなんだったのかな。
そこがポイントだったんですよ。なぜ失敗したのかが分からないんです。だから対策がとれない。
正に五里霧中というわけか。
じゃがいもの失敗の直接的な原因は病気、それから生育不良だったんですが、じゃあなんで病気になったのか? 生育不良だったのか? 分からない。例えば病気。一般的な農業だと農薬で病害虫を防除するんですが、有機農業の僕らはそれを使わない。だから防ぎようがない。つまり、病気になる理由、野菜ができない理由は有機農業だから、ということになってしまうわけですよ。
「有機農業」は、わったい菜の通販の「鳥取県産」などと同じ、事業として成立しないコンセプトかも知れない、ということか。
TREE&NORFのコンセプト、「有機農業」「固定種野菜」「大規模」のうち、「固定種野菜」については2015年の春の時点で、コンセプトから外すことを決めていました。現時点での僕たちの技術では事業的に成立しないと判断したからです。
さらにそこから「有機農業」を外さないといけない。
でも、それは外したくなかったんですよね。TREE&NORFの野菜は、子どもたちに食べてほしいと考えて栽培しているものなので、できる限り安全な方法で栽培したかった。それから「有機農業」と「大規模」というワードは、事業家としての僕の夢というか、外したくないポイントでした。
というと?
世界的にはありますが、日本で有機農業を大規模に実践している農業法人はほとんど例がありません。僕は「良い野菜を少しだけつくる事業」ではなくて、「良いものを大規模につくる事業」に挑戦したいと思っています。それが消費者にとって低価格というメリットも生むわけですし。
しかし、「有機農業」が理由で野菜が収穫できないんなら、そのコンセプトは捨てないと事業として成立しないんじゃ。
でも、そんなはずないと思ったんですよ。野菜が病気になったり生育不良になったりする、もっと根本的な理由があって、それを防ぐ、別の方法もちゃんとあるはずだと。
なるほど。
それで、もう背水の陣で必死になっていろいろ調べていたら、長野県にあるトップリバーという全国的に有名な農業法人で現場のリーダーをやっていた西根さんという著名な農業家が、鳥取に帰って農業をやっていると知って。すぐに連絡して、その1か月後に畑に来てもらったんですよ。
西根さん、まだかなり若い方でしたよね。
若いけれども、経験と知識がすごい。いや、当時の僕はそのすごさがきちんと理解できていなかったと思います。ある程度勉強してきた今、余計に彼のすごさが分かります。その彼が、僕たちの畑に来てこう言ったんですよ。「これじゃあ、野菜は絶対にできない」
厳しい一言だね。
そして「農業は科学ですよ」と言い切ったんです。それから、有機農業を科学的見地で捉え指導している小祝政明という人がいることを教えてくれたんですよ。有機農業をやるなら、彼の言っていることは間違っていないので勉強してみてはどうかと。
知ってる人はいろいろ知ってるんだね。
西根さんとの出会いが、今取り組んでいるBLOF(ブロフ)との出会いに繋がりましたし、農業を科学的に捉えることの重要性に気付く大きなきっかけになりましたね。僕たちとって大きな転換点だったと思います。
次回、最終回へと続きます。